東京メトロ丸ノ内線は、池袋~東京~新宿~中野坂上~荻窪・方南町間を結ぶ地下鉄路線です。ただ、開業当初当時の営団地下鉄は新宿駅を境に丸ノ内線と荻窪線に分けていました。なぜ営団地下鉄は丸ノ内線新宿~荻窪・方南町間を荻窪線として開業したのでしょうか。
荻窪線は丸ノ内線と終日相互直通運転、車両も共通
営団地下鉄荻窪線は新宿~中野坂上~荻窪・方南町間を結ぶ路線でした。
ただ、新宿駅は既存の丸ノ内線とホームは共通で、相互直通運転を行っていました。運行形態上丸ノ内線と荻窪線は一体だったのです。
ではなぜわざわざ荻窪線という別名称を与えたのでしょうか。丸ノ内線ではいけなかった理由はあるのでしょうか。
荻窪線、開業当初は別運賃だった
なぜ直通する丸ノ内線と荻窪線を別路線としたのでしょうか。それは、当時全線均一運賃だった営団地下鉄と運賃を分けるためです。
営団地下鉄は当時、1927年12月30日の開業以来1961年まで全線均一運賃でした。1駅だけ乗っても、全線乗っても運賃が変わらなかったのです。
1961年の荻窪線開業前、銀座線と丸ノ内線は運賃は全線均一25円でした。ただこの運賃は都電と比べると圧倒的に高いものでした。
そこで、都電杉並線の転換路線である荻窪線の運賃としては高すぎると、荻窪線は20円均一の割引運賃としました。
一方で荻窪線から銀座線・丸ノ内線を乗りとおすと長距離となるため、短距離利用者の不満解消も兼ねて新宿をまたぐ場合は40円とし、両線の運賃を合算した額から5円引きとしたのです。
つまり、車両も運行形態も同一の荻窪線を丸ノ内線と別路線名で開業したのは、運賃を分けることが一番の狙いだったのです。
なぜ荻窪線は丸ノ内線と統合したのか
ただ、今日では荻窪線という路線はありません。それは荻窪線区間も今日では丸ノ内線と名乗っているからですが、なぜ路線名称を統合したのでしょうか。
当時路面電車の高速版と位置付けられた地下鉄は路面電車同様全線均一運賃でした。が、1961年2月8日に開業した荻窪線、1961年3月28日に開業した日比谷線でそれぞれ銀座線・丸ノ内線と別運賃を設定しました。これにより運賃均一制は事実上崩壊、路線別区間制運賃となったのです。
特に日比谷線は今後都心乗り入れを行う予定であったため、今後の延伸次第で乗り換えで大きく値上げとなる可能性がありました。
これを防ぐため運輸省(現在の国土交通省)は次の運賃改定以降は均一制や実質区間制ではない不公平のないような新たな運賃制度を設定せよという通知がきます。
そこで営団地下鉄では関東私鉄の多くが導入していた対キロ制ではなく、1961年11月1日に独自の対キロ区間制運賃を世界で初めて発明、導入しました。
対キロ区間制は乗り換えの有無にかかわらず、距離ごとに対象となる運賃額が決められています。このため路線名が途中で変わろうが変わらなかろうが運賃に影響しなくなりました。このため運賃を分けるために別路線名としていた荻窪線の存在意義がなくなったのです。
その後1972年4月1日、荻窪線は丸ノ内線に統合し路線名称から消滅しました。かくして荻窪線の路線名称は13年という短命で終わったのです。
結び
荻窪線はもともとほかの営団地下鉄路線と別運賃とするための策でした。対キロ区間制を導入した今日ではわざわざ路線名を分ける必要がないことから丸ノ内線に統合し現在に至ります。
路線名1つにも歴史があるものですね。
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